「47RONIN」の等身大ポスターがズラリ!!
一番左に仁が!!!
めっちゃかっこいい~~~~~~っっ!!!
ずっと焦らされてます(笑)年越しで焦らされてます(爆)
早くこの目でで主税(仁)が見たい!!!
本日のタイトル「MY PAIN」。
わたしの痛み。
ヲタになって9年目。
ふっと思ったんだけど、この決して短くはないヲタ人生の中で、私が受けた痛みを挙げてみました。
大なり小なりあるけれど、さまざまな記憶が浮かんできて。
そうやって少しずつ見えてきたこと、確信したことがあって、今の自分があるなと感じています。
2005年
・カツンジュニア時代。亀がPと組んでドラマ「野ブタプロデュース」にW主演。主題歌「青春アミーゴ」発売決定。
→これが私にとってヲタになって初めての痛み&衝撃でした。朝のスポ紙で驚いて、そのまますぐにワイドショーチェック。亀が悲痛な表情で、「これは僕のデビューではありません。僕のデビューはKAT-TUNがデビューしたときです」と発表。
もう、ブログも掲示板もマガも大騒ぎ。当時はまだツイがなかったので、これらでファンの様子をチェックしていました。
この時期、カツンはジュニア内ではもちろん、デビュー組の先輩たちをもおびやかす飛ぶ鳥落とす勢いだっただけに、デビューは間近と言われていてみんなが期待しまくっていた分、ショックが大きくて。カツンのデビューはいつ?が合言葉だっただけに、この報道でいろんな憶測が飛び交い、マスコミや心無いジャニヲタ達はカツンはデビューはないとか、解散とか流れました。
カップリングに亀の「絆」があったことも騒がれて、絆はカツンの亀梨の歌なのになぜ!!とも騒がれていたのよね。
メンバーのウタワラでの一番最初の披露のときもあまりにもメンバーと亀との距離感や冷めた表情で見ている彼ら(田口でさえも)がきつくてしばらくデビューするまでは一度きりしか見ることができなかったくらい。
ヲタになって半年経った頃ですごく楽しかった時期だけに衝撃でした。
・仁、初フライデー
→同時期、グラチャンのサポーターにカツンが就任。この時期に忘れもしないフライデーに仁が上原さんとでかでかと掲載。ここから仁のスキャンダル報道が始まります。
この記事はとにかく扱いが大きくて、しかも抱き合ってるというか、上原さんが仁に抱き着いていて、仁が完全にカメラ目線でがっつり写っていて。
まだ当初、仁に本気で恋していた私はいろんな裏事情も知らないヲタだったので大大ショック!!
仲間と延々と電話して落ち込みまくり。ちょうど亀がアミーゴ出す発表で傷がようやく癒えたくらいの時期だったので、なぜまたこんなショックなことが起こるの??って思ってました。
まあ、後にいろんなことがわかったんですけどね。ていうか、仁が完全にカメラ意識して写っていたし、あんな外であんな風に抱き合う自体がおかしかったんですけど(苦笑)
2006年
・亀ドラマ「サプリ」出演決定。
→これは当時は仁に決まっていました。仁が打ち合わせにフジに通ってるのもがんがんに目撃されていたし、サプリに出ること自体、はっきりと情報落ちていましたし。ただ、この時期仁の様子がおかしいなと感づいていたので(仁担さんはみなさん心配していました)、大丈夫かなーと思っていました。そしてテレビ誌の次号予告に伊藤美咲、赤西仁と掲載。関西仲間が先にそれをチェックして即、画像付きでその予告を回してくれて、いよいよ発表!?と思った矢先に亀に代わっていたという。
なんで??どうして??と大騒ぎ。仁担は亀が仕事取ったとか、仁は大丈夫なのかとか揺れましたねー。
ここから少しずつ、少しずつ仁の様子がおかしくなってきました。雑誌の発言も「仕事よりプラベが大事」、「プラベあっての仕事」、「俺にとって大事なのは家族と友人」と強調するようになりました。仁アンチが増えてきたのもこの頃からですね。
・仁、留学、カツン活動は無期限休止。
→息が止まるくらいの衝撃でした。痛いなんてものじゃない。あの日だけは一生忘れない。
スポ紙で驚いて、ワイドショーで確信して、そのまま仲間にたくさん電話かけて。
たまたま私はアパレル勤務で平日休みだったのであの金曜日は休みで。もうわけわからなくて。
いつか何か起こるだろうとは思ってた。仁の様子がおかしくて、メンタルを心配するブログもたくさん出ていた。
そしてことは起こった。
翌日のNEWS ZEROでジャニーズ事務所で緊急生放送で、仁と田口と中丸が会見。
ぼろぼろに号泣しながら仲間と電話持ったまま見た。
あの当時、たくさんの人たちが仁はもう帰ってこないと思っていたけど、私はそれは絶対ないと感じていた。
仁は帰ってくるためにここを離れるしかなかったんだとなぜか思っていたから。だから当時のブログにも私は帰ってこないとは決して書いていない。でも、あれから何年も経っていろんなことがあったけど、今でも一番の痛みはこれしかない。仁がいないこと、残されたメンバー、亀の姿。あれほどきつかったのを目の当たりにしたのはあれが一番だった。
・5人でのシングル「僕らの街で」発売
→ずっと主題歌の発売が発表されずにおかしいなと思っていたら仁の留学発表と同時期に発売日決定。
初めて聴いたとき、「じんの声がない・・・」とわかっていても淋しかった。
そしてカップリングにまさのル・シェルが収録。こちらの方が大ショックを受けた。ル・シェルはご存知、カツンのオリジナル曲でも人気が高い曲。仁のフランス語から始まり、仁と亀のパートが存分に入ったもの。
これが5人でのクリスマスバージョンとして収録。ショックすぎて封印。(今も聴いてない)
2007年
・聖ドラマ主題歌「喜びの歌」発売決定
→まだ仁の復帰が発表されてない頃、当時はマンガコンが決定して、アルバムも決定。仁はツアーにいるのかいないのかファミクラが問い合わせに殺到していた頃。
聖のドラマ主題歌を聴いて、やっぱり5人の歌声。(ま、当然だけど)こうやって仁の声がないのが流れる淋しさを痛感。後に仁が復帰して6人バージョンになりましたけどね。
2007年4月下旬~2009年いっぱいまでは特に大きな痛みはなく。
仁のスキャンダル報道は数えきれないくらい挙がりましたが(苦笑)
デビュー時期は春にモデルのRINAとディズニーへ行ってアトラクションに二人で乗ってるところを激写(現在のあの方と同じ。つか芸がない失笑)、
復帰早々、加藤ローラちゃん(マイファミと一緒に仁の車に乗ったところの写真※ローラは後座席、ローラのマンション宅を訪ねる仁※このマンション、ローラ以外にいろんなタレントが住んでましたが、仁はローラではなく違う人を訪ねていたんですよね~(にやり))、夏には藤井リナちゃんやマイファミと花火大会行ってるところ、
有閑倶楽部時期は香椎ちゃんを車に乗せた写真、
2008年は西山さんとの焼肉写真(これ大騒ぎになったけど、私は失笑)、2009年はBENIちゃんとカフェで。
ソロになってからはダンサーの子と。(これはツーショットは無し)
まあ、仁本人も言ってますが、週刊誌のまさにレギュラー(笑)扱い。
しかも単なるお友達か、やらせばかりですが。
スキャンダル報道においては最初の上原さんとの報道以外は面識できていたし、いろんな事情がわかったのでまったくスルーです。写真のビジュチェックくらいですね。
2010年
・「友&仁」の海外公演のため、カツンツアーに不参加。
→これも残念ではあったけど、そこまでショックはなくて。海外(ハワイ)で合流だと思っていたので、それまで淋しいけどガマンって思ってました。ただ、カツンツアーは仁がいないのをマンガコンですでに体験してましたが、ここでは本当に仁がいないこと前提のツアーだったので心の底から楽しむことはなかったですね。
・仁、カツンからはずれてソロ活動へ。2wayに。
→これは大打撃でした。久々にきた大きな痛み。泣いたし、話しまくったし、落ち着くまでにすごく時間がかかりました。しばらく映像見れないほど。仲間となら見れてもひとりでは見れなかった。
仁の心情、メンバーの心情を思うと今でもつらいです。
自担がいない自分の担当グループって想像できます?
メンバーが自担のことを話さない、CDに自担の声がない、ライブに自担がいない、テレビでの映像はカットされる
これを留学時期に一度体験してもうこりごりだと思いましたが、また体験。しかも今度はずっと。
この痛みは今もありますね。亀の歌声に重なる仁の声を探してしまう自分がいます。
きっと一生これは続くんだと思います。
2011年
・震災でカツンツアー中止。
→震災が起きたときにまず、コンビナートライブはないのは当然だと思いました。5大ドームツアーも厳しいだろうなと。そこから建て直して小さくてもライブをやるかなと思っていたらまさかの中止。
ほかのジャニグループはライブをやっていて、自分の担当グループは無し。もちろん厳しいのはわかってました。アリーナ会場は週末は一年前からスケジュール組まれていて変動できないし、ましてや大きなドームは尚更。でもどこかでイベントかミニライブはやってほしかった。
カツン自体も仁がソロへ移行して、小さくまとまってしまい、好感度アップのためか出す曲がカツンらしさの持ち味を消してしまって、売上げが大幅にダウン、ファンも離れるし。
もがいた一年でした。
2012年
・仁、結婚報道
→これはショックというより、衝撃でした。だけど自分にとってはさほどの大きな痛みではなく。
きっとヲタなりたてのときならものすごいショックで寝込んだかも(苦笑)
事情が事情だったので、それを選んだ仁に対しての痛みはありましたが、すぐに私自身も仲間も落ち着きましたね。それよりもそのあとに続いた活動が休業になった方が堪えました。
あの1年半は、あそこまで自担の活動が見れないのは初めてで、ずいぶんきつかったです。
時折、カツンの活動自体もチェックするのがつらかった時期もありました。本当に本当に淋しかったなー・・・。
自分がどれだけ仁を欲してるのかも実感できましたね。
2013年
・聖、ジャニーズから解雇
→これについては・・・・たしかに痛みは大きいですし、ずっと大きな穴をあけた気持ちではいることだとは思います。
ただ、いつかは何かは起こるとはブログでも綴りましたし、仲間にも発信してはいました。
それが最悪の自体になった。
ショックの受け方の差は大きいと思います。
長くカツン担やってる人
仁担の人
亀担の人
他担の人
ヲタ歴浅い人
それによって、痛みの大きさは違いますし、受け止め方も違うと思います。
そしてヲタ事関係なく、日頃から客観的に物事を考えられる人、感性の度合い、性格などももちろん影響されます。
私自身はショックも痛みも大きいのは間違いないです。
ただ、打ちひしがれることはないです。
お先真っ暗でもないし、絶望感もない。
かと言って、さあ、4人のカツンをがっつり前向きについていこう!というノリでもなく。
中立というか、淡々と流れるところを受け止めてる。
受け入れてはなく、受け止めてる。
べつにこの先、もうなすすべもなくカツンが終わるわけでもない。
それは彼らが判断することであって私たちが決めることではない。
カツンが終わるときは彼らがそうやって判断したときだから。
彼らが活動をするという限り、KAT-TUNは存在しています。
そして別の道にいるけど、仁もいます。
そこは確かだから。
聖自身については、彼自身のやってはいけなかったことと、事務所の管理や責任、方向性のダメなところがあるので、それについては今は言いません。
改めて綴ると、見て分かる通り、カツンて、痛みを伴う出来事が本当に多いです。
その大半は仁が引き起こしたと思ってるヲタも多いでしょう。
それにはいちいちそのたびにその人たちに反論しても絶対わからないことだから言いません。
でも、これだけいろんなことがあって、その出来事の裏側には彼らの勝手な行動だけで起こしたことではなく、すべてに複雑な原因が絡み合ってるのは事実です。
出来事が起こるたびにファンは胸を痛め、ヲタを去る人もいますし、応援スタンスを変える人も出てきます。
それは仕方ないこと。
でもそれでも私みたいに変わらないスタンスの人もいますし、新しくヲタになる人もいます。
そうやって時は流れていきます。
流れを一歩引いて見つめてみると、そういうことになっていくように定められた部分と、自分たちがどこかで選んでいる部分もあるんだろうなと悟っています。
だから私はずっと彼らを見守っていくスタンスは変わりません。
自担である仁の活動と、担当グループであるKAT-TUNの活動と、自分にとってスペシャルな亀の活動と、
そして仁と亀のこと。
これはまったく変わらず愛情を注いでいくつもり。
今朝、久々に2005年9月の少クラを引っ張り出して見ました。
上田プロデュースの「願い」
仁がいて
亀がいて
聖、田口、たっちゃん、中丸がいる。
キラキラ
キラキラとオーラを振りまいて
最強の6人がいました。
ポロポロ涙が零れました。
私がいつも彼らになにかあったときに振り返る映像はジュニアの2005年です。
自分が堕ちた年でもありますが、一番オーラ強くてやんちゃしてて、無敵だった海賊からの一年間。
あの頃のカツンが原点だと思うので。
こーきがね、少クラだから好き放題なパフォーマンスしてて、仁が茶目っけたっぷりにおどけたり、ぼけたりしてて、亀をじーっとガン見してて、でも歌ってるときはカメラ抜かれたらウィンクしてムカツクの(笑)
あーこんなときあったなーって・・・・・。
わたしの大好きなKAT-TUN。
わたしに「痛み」を与えたり、「喜び」を与えたり、「幸せ」を与えてくれるKAT-TUN。
ひとつひとつの「MY PAIN」という針があるけれど、それがこの先に開く「カギ」へといつか変わりますように。
今日も彼らを思って生きてます★